10年間お世話になった会社を辞めた理由。人生の分岐点②
どうも!!次代が生んだスーパースター、ちぐざいるです!!
やりがいも感じ、キャラも確立していた僕が退社をした理由を書いていきます。
営業から生産管理という未知なるポジションに異動した僕はここで打ちのめされる。
ちなみに今まで歴代の生産管理を担っていた担当者は、全員退社しているという曰く付きの
ポジションであった。
僕も入社以来ずっとここだけはやりたくないと
切に願っていた部署である。
しかしついに僕に回ってきた。
ここから営業の引き継ぎと並行して生産管理の仕事を受け持つ。
生産管理は400点以上ある製品を購入計画から
納入まで全て任されるため
言ってしまえば当社で扱っている製品全ての
責任を担うことになる。
もちろんしっかり計画どおりに行けば問題ないのだがもちろんそんなわけもなく
毎日客先遅延が起き、その度にお客さんに謝る始末。
再発防止対策書を毎週のように書かされ
(俗に言うなぜなぜというやつ)
これは再発防止じゃない!!うつ病製作書だ!!
と叫びまくっていた。
そんでもって仕入先からは逆に日程通りに製品が入って来ずそれはそれで
開き直って逆ギレしてくる仕入先ばかりなので
毎日毎週揉めるという
毎日頭の中で
チャゲアスのYAH YAH YAH が流れるような
刺激的な毎日を過ごしていた。
とくに生産計画をたてる月末から月初にかけては
日付をまわることもしばしばだった。
さらに僕を困らせたのが客先からの
帰宅してからの急に
赤帽で製品送ってください電話。
結局会社に戻って荷姿準備をしなくちゃならないし
なにより帰宅したらもう酒が入っている状態である。
いつも申し訳なく夜勤の人にお願いしていた。
さらにさらに僕を苦しめたのが
休みの日の赤帽飛ばしてください電話。
こうなるとまず会社に人がいるかわからないし
実際いなくて休みの日に急遽会社に行き
対応したこともあった。
というかこの客先の在庫管理はどうなっとるんだ!!
とよく怒り狂っていた。
客先対応と仕入先対応だけでもこんなにめちゃくちゃなのに
さらに、頻発する納入遅延の社内報告の
対策書が溜まりに溜まり、
毎週金曜の社長報告は地獄だった。
この頃からもう事務所にいても常にイライラしておりしょっちゅう周りともケンカしていた。
常に
こんな会社やめてやる!!
と叫んでいた。
よく考えたらこの事務所は社長も同じフロアに
机があり社長の耳にも絶対入っていただろう。
本当に申し訳ない。
もう全てが嫌になった!!
サラリーマンなんてクソくらえだ!!
ぼくはバックパッカーになる!!
とずっと叫んでいた。
あまりに僕が荒れるので会社は、
僕の代わりにと顧問の知り合いの人をほかの会社から引っ張ってきてくれた。
『これで千種くんは営業に戻してあげるから。』
この優しさに甘えておけばよかったのだが‥。
つづく