東日本縦断ヒッチハイクの旅!!その先で見たものとは??⑧
どうも!!次代が生んだスーパースター、ちぐざいるです!!
何もない田舎道の名取市で心あるお兄さんに拾ってもらえたぼくらは
仙台の被害も見て欲しいとある場所に連れて行かれる。
旅2日目。仙台市。
このお兄さん、仙台市在住だったらしく震災の当時の話を生々しくしてくれた。
まず震災の後、市街までの津波の侵入はなかったもの、家はぐちゃぐちゃに。
幸い身内には誰も亡くなった方はいなかったが
2週間ほど避難所生活。
さらにライフラインが止まっていた為、1か月以上お風呂にはいれなかったらしい。
その間ガソリンなんて半日並んで待って10リッターとかだったらしい。
さらに報道はされていないが家に戻ってくると空き巣に入られている家もたくさんあったという。
ただ、ご友人は多賀城という海の近くのイオンの送迎バスにのったまま津波に飲まれて亡くなってしまったらしい。
まだご遺体が見つかっていない人が2000人以上おり
(2017年5月時点)
震災はまだ終わっていないと。
そしてお兄さんが見て欲しいと言った
荒浜
という海水浴場であった場所に着いた。
真っ暗だったので全てを見渡すことはできなかったが、大きな石碑があり、
さらにたくさんの被害に遭われた方の名前がずらっと書いてあった。
中には0歳の赤ちゃんの名前もあったりして
ほんとに大変なことがこの場所で起こったんだと
実感した。
ここ一帯は、夏になると市街から程近い海水浴場ということもありとても賑やかな場所だったらしいが
震災以降、まったく人気のない場所になってしまったようだ。
たしかに見渡しても以前は家や建物があったんだろうという区画はわかったが建物は一切なかった。
そりゃこの場所にまた住もうと思うには相当な覚悟がいることだなと思った。
(明るかったらこんな感じだったらしい)
そこで手を合わせ宿を探すために市街へと向かった。
不思議だったのがこの海岸に向かう道で、
いきなりやたら濃い霧に見舞われたり
動画をずっとまわしていたのだが途中から急に
真っ白になって音声も消えたり不可解な現象が
起きたのだ。
そして仙台駅前で降ろしてもらい、お兄さんと別れた。
お兄さんが最後に言ってくれた。
来てくれて嬉しいです。時間が経ってほとんど報道されなくなってしまいましたが、まだここに住む人達は全然復興は終わってないし元の生活なんて
戻れるわけなんてない。
忘れられるのが1番辛い。
興味本位でも来てくれることが何より嬉しいです。
正直、興味本位とはまさにその通りで、そんな気持ちできた自分に若干後ろめたさは常に旅の中であったが
その言葉で気持ちが軽くなった。
ヒッチハイクでなければ行くことのなかった
荒浜という場所。
すてきな出会いが教えてくれた場所になった。
そして宿を探すことに。時刻は午前1時過ぎていた。
つづく