日韓ワールドカップの悲劇。
どうも!!次代が生んだスーパースター、ちぐざいるです!!
皆さんは日本と韓国が共同で開催した、サッカーのワールドカップをご存知だろうか。
2002年に開かれそれは今のサッカーブームとは比べ物にならないくらい日本中が大盛り上がりだった。
これはそんな日本中が歓喜に沸いた日の悲劇の
物語である。
ワールドカップ期間中は
大学の授業も皆日本代表のユニフォームを着てるやつばっかりだったり
テレビをつけたらサッカーの特番ばかりだったり
しまいにはみのもんたがサッカーを語ったり
街中にはベッカムヘアの男ばっかりだった。
いやハゲてねーし。
今でこそ目標は優勝だとかベスト8だとか言っているが
当時の日本代表はまだワールドカップで勝利は
おろか勝ち点すら得たことがない状況だった。
(前回のフランス大会が3敗だったため)
そんな中、1戦目のベルギー戦で引き分けて
初勝ち点をゲットし、
2戦目のロシア戦で初勝利をゲットし
きたる3戦目のチュニジア戦で勝てば
初の決勝トーナメント進出という
盛り上がりは最高潮の展開を迎えた。
そんな第3戦目をぼくは1人暮らしをしていた
高校時代の友人の
オダギリジョー似のケンの家で見ることになった。
ほかにミノワヒロキやハヤカワくん、アキトゥなどが集まりイトウというやつが自慢の愛車
ケンの家まで送ってくれた。
イトウは事あるごとに
ウィンダムは世界最高強度だ。
と言っていた。
ケンが住んでいたアパートは学生マンションなのか
ほとんどが学生らしく
もう住人全員が見てるんじゃないのかってくらい
日本がチャンスの時はところかしこから
悲鳴が聞こえた。
結果は2-0で日本の勝ち。
見事に初の決勝トーナメント進出を決めた。
最高の仲間と最高の結果に
大盛り上がりの僕らは興奮を抑えきれず
名古屋に出てスポーツバーで騒ぎに行くことにした。
もちろんイトウ自慢のウィンダムで。
ケンの家から名古屋の繁華街までは車で1時間くらいかかるところだったのだが皆車内は大盛り上がり。
季節が初夏ということもあって
窓全開でばんばらばらんばの歌を歌いながら
皆ノリノリだった。
しかし次の瞬間一気に地獄へと舞い落ちる。
片側2車線の比較的広い国道を走っていた。
交差点にさしかかった瞬間、
ものすごい衝撃が車を襲う。
なんと信号無視をした車が横から追突してきたのだ。
車は無残にも破壊され、追突してきた相手の車は死んだんじゃないのかってくらい
吹っ飛ばされてた。
僕らは信号は守っていた。
赤でつっこむなんてどんな輩だと思って皆で車外に飛び出したら
普通のおばちゃんだった。
完全にぼーっとしてたらしい。
イトウの自慢の世界最高強度のウィンダムは完全にその場から動かなくなり
日本中が歓喜に包まれた夜。
僕らは現場検証とレッカーされていく車を
見つめておわっていった。
おしまい。