どうも!!次代が生んだスーパースター、ちぐざいるです!!
1月から書いてきたちぐざいる新聞もこれを書いて第1章終わりとしたいので
若干重たくなるがこれから約10年お世話になった
会社を送別会もなくだれからも見送られずに退社するに至った経緯を書いていきたい。
今はこの会社に対してむしろ社会人として育ててもらった恩義しかないので
あくまで事実のみを書きたいと思います。
25までフラフラしていた僕だが父親の紹介で
自動車部品のメーカー営業として働き出した。
僕がその会社にお世話になったのはまだ25歳の時でまだまだ社会人と呼ぶには程遠い髪の毛も長く茶髪の、若造だった。
これで社会人だから驚きである。
チャラい=モテると勘違いをし仕事よりも遊びだった。(今もか)
そんな僕を雇ってくれて時間をかけてイチから仕事を教えてくれたことにはもう感謝しかなく
そんな精神的なゆとりからか
お客さんとも友好な関係を築けた。
お客様との関係ができていたらこれほどやりやすい仕事はないのがルート営業。
普通に、海外で髪の毛切ってきます!
とか象使いのライセンス取ってきます!
なんて言って普通に有給使って海外行きまくっていた。
今考えたら、確かに仕事をなめてると
まわりからみられてもまったく仕方ない状況である。
みんなは学生のうちにそういう経験を積んでおくのだろうが
ぼくは社会人になってから、なんなら30歳超えてから15を超える国に行かせてもらった。
これは本当に感謝しかないし
世界を見ることで価値観も変わった。
しかし、先述した通り、調子に乗っていた感は否めない。
実際乗っていたと思う。
社内でも社外でもぼくのキャラは確立していたし
ぼくが間に入ることで笑いが生まれおさめれた
トラブルも何個かあった。
ただそれは全て向こうの受け取る側の心の広さであって
いつしかそれを自分の実力と勘違いしていたのは
改めて思う。
しかしいい時代はそう長くは続かない。
入社して8年ほどたった時、その時生産管理をしていた人が体調を崩され、
仕入先にも顔が効くからという理由でぼくが
営業から生産管理へと部署異動になる。
ここから初めて仕事の大変さを学ぶことになる。
(おせーよ。)
つづく。